牛とバルコニーのはなし(2)

 赤いじゅうたんの上に座り込んで、30分経っても男の話は続いていた。だが、こちらは肝心の件が切り出せずにいる。
 「…それから評判になって、テレビにもずいぶん取り上げられましたよ」「そういえば、『宇宙刑事シャイダー』もここでロケしましたよね?見ましたよ」「そうそう、アニーね!あのひとはすごい人でした…」
 なんとか芸能関係へ話題を誘導することに成功した。話が途切れたタイミングを狙って、すかさず質問する。「ところで、あの人もよく来るって聞いたんですが。ほら、夏…」
 そのとき、不意にバルコニーの右端にある戸が開き、中年の男女4、5人が姿を現した。「おはようございます」先頭の男が頭を下げた。
 「ああ、おはようございます。紹介しましょう、こちらは宿泊しながら酪農の勉強に来ている方々で…」そのまま今度は、彼らと熱心に話しだした。
 これ以上ここにいても彼女とは会えそうにない。そう判断して男に見学の礼を言うと「せっかくなのでお土産を差し上げます」と、団体客をその場に残して岩の斜面を下りはじめた。あわてて後を追うと、男は最初に会った台所の部屋へと入っていく。
 そこでは、先ほどまで姿の見えなかった背の高い若者が、洗い場で大量の大根を洗っていた。やはり坊主頭に作務衣姿だ。
 「うちの畑で獲れた大根です。つまらないものですが」そう言って、男が葉のついたままの大根を2本差し出した。葉が長く茂っているわりに、肝心の大根そのものは細くて貧弱だった。若者が紙袋を探してきてくれたが、あまりに葉が長すぎてうまく大根が入らない。試行錯誤してようやく大根を紙袋に収め、ふと周囲を見ると、いつの間にか男と若者は部屋から姿を消していた。
 そのまま帰ろうかとも思ったが、好奇心に負けて、さらに廊下の奥にある大きな部屋を覗いてみた。
 部屋の中心には、大きなスチールロッカーがいくつも並んでいた。書庫だろうか。
 そっと忍び込んで、ロッカーのひとつを開けてみると、中はすべて古い洋ピンのビデオだった。トレイシー・ローズやジンジャー・リン、エンジェルやクリスティ・キャニオンら80年代から、シャロン・ケリー、アネット・ヘブン、セカなどの70年代まで懐かしいポルノ女優が揃っている。すごいコレクションだ。
 ビデオに気をとられていると、どこからか低い話し声が聞こえてきた。
 あわててロッカーの陰に隠れて様子を伺うと、この部屋は二間続きになっていて、隣室に誰かがいるようだった。あいだを仕切っている引き戸が開いていて、そこから部屋の中を伺うことができた。
 隣は小さな和室で、ひとりの小さな老婆が正座していた。対面にいる女性らしい誰かに静かな口調で話しかけている。
「…あなたにとり憑いているのは、犬神の霊です。これからあなたの体から霊を追い出すので安心してください…」
 だが、その言葉が事実とは思えなかった。なぜなら、ちょうど老婆が座っている向こう側には大きな鏡が置かれていて、その中に写っていたのは、髪を振り乱し泡を噴きながら畳の上で激しくのたうちまわる老婆の姿だったからだ。
 犬神の悪霊が老婆を圧倒している!そう悟ったとたん、これ以上この部屋にいるとさらに恐ろしい光景を目にするだろうという予感が迫ってきて、急いでその場を後にした。
(つづく)





(注:画像と文章は無関係です)