つくりばなし

天然コウビサセロー(2)

(第1回 http://d.hatena.ne.jp/cinemathejury/20090726/p1) 言葉どおりに少年は翌日の朝、1台のリヤカーを引いて現れた。その荷台にはいくつもの絵の具の缶やバケツ、それから長い梯子が積まれていた。 短くなった髪の裾を自分で切りそろえたチロは、通…

昆布は無慈悲な海の女王 〜5

明け方、昆布先生は夢を見た。 彼が砂浜を歩いていると遠くで呼ぶ声がする。見れば、波打ち際で秋帆が笑いながら手招きをしていた。しかし急いで駆け寄ってみるとそこには誰もおらず、ただ冷たい潮風が海の彼方から吹きつけているだけだった。 と、いきなり…

天然コウビサセロー(1)

あれから十数年が経ったいま、もうひとびとの口の端に上ることはなくなってしまったが、千葉島の歓楽街のひとつである馬頭銀座の入り口には、かつて毎日のようにひとりの少女が立っていたものだった。年のころは十四、五歳だったろうか、いつもお下げにした…

昆布は無慈悲な海の女王 〜4

そう、彼女の名は秋帆である。春でも冬でも、ましてや夏でもない。それこそが昆布先生が自身の一生を捧げると誓った女優の名前であった。 1991年6月30日東京都生まれ。かに座。左利き。身長は164cmで、これは奇しくも昆布先生の背丈と一致する。趣味は読書…

昆布は無慈悲な海の女王 〜3

気が遠くなりそうなほどの焦燥感に身を焼かれながら、やっとの思いで時刻が2時30分を回ったころ、町内放送用のスピーカーがガリガリと音を立てるのが窓の外から聞こえた。『…東港地区のみなさんにお知らせします…本日午後3時、町営保養所前の特設会場に…

昆布は無慈悲な海の女王 〜2

「あの女優の名前はなんといったかな」 伊藤雄之助似の親方が不意に顔を上げ、のんびりした口調でつぶやいた。 「え、なに?」応えたのは親方の妻のほうだった。昆布先生はその質問に聞こえないふりをしていたが、朝からしばらくは収まっていた胸の鼓動がふ…

昆布は無慈悲な海の女王 〜1

7月の青空と海の色はようやく季節に相応しい色を見せ、この小さな港町にも道東特有の遅い夏が訪れようとしていた。朝の澄んだ空気はまだほんの少しだけ冷たさを残していたが、そんなことは気にも留めないがごとく風を切って自転車を飛ばし、町中を駆け抜け…

昆布は無慈悲な海の女王 〜プロローグ

北海道の道東地方から南東へ数百キロを隔てた太平洋の海底に、はるかカムチャツカ半島から千島列島に沿って北海道沿岸へと至る巨大な地球の裂け目がぽっかりと口を開けて横たわっている。千島海溝と呼ばれるその裂け目の最深部は深度9000メートル以上にも達…

無神経な男のはなし

○月×日 今日から解体業のアルバイトをはじめる。 現場は郊外の山奥にある大きな一軒家で、ウワサでは幽霊が出るとか言われていたらしい。他の作業員はみな気味悪がっていたが、自分にはどうもピンとこない。 昼休みに弁当を食べたあと、用を足しに空き家の裏…

牛とバルコニーのはなし(3)

足音を殺して廊下を走り、外の光が差す玄関までたどり着くと、それまでの恐怖感がうそのように収まってきた。 ふと見ると、二階へ行く階段のとなりに地下へ向かう渡り廊下のような通路がある。ふたたび余計な好奇心にかられて、通路の奥へと向かってみた。 …

牛とバルコニーのはなし(2)

赤いじゅうたんの上に座り込んで、30分経っても男の話は続いていた。だが、こちらは肝心の件が切り出せずにいる。 「…それから評判になって、テレビにもずいぶん取り上げられましたよ」「そういえば、『宇宙刑事シャイダー』もここでロケしましたよね?見ま…

牛とバルコニーのはなし(1)

こんな夢を見た。 起伏の激しい海沿いの道路をどこまでも走ってゆくと、左手に目的地が見えてきた。 舗装道路から外れ、45度近い急角度のトンネルを転げるようにして下った先の浜辺に、断崖の壁面にへばりつくようにして建てられた奇妙な形の建物があった。…

グエボスの少女のはなし

あのころ、ぼくは大学を休んでバイトで稼いだ金を元手に、海外のさまざまな国を放浪していた。まだベトナムでは戦争が続いていたときの話だ。 その国の言葉でメウーリョと呼ばれる山間の農村地方へ行ったのは、首都にある小さなユースホステルで知り合った徴…