グエボスの少女のはなし

 あのころ、ぼくは大学を休んでバイトで稼いだ金を元手に、海外のさまざまな国を放浪していた。まだベトナムでは戦争が続いていたときの話だ。


 その国の言葉でメウーリョと呼ばれる山間の農村地方へ行ったのは、首都にある小さなユースホステルで知り合った徴兵忌避者のアメリカ人からマリワナ煙草の巻き方とともに、いまの時期その地方へ行けば農家の手伝いの仕事が得られ、物価の安いこの国にしてはそこそこの収入になるということを教わったせいだった。
 当時のぼくはすっかり日本へ帰る気をなくしていて、この国での滞在費用を稼げるのであればどんな仕事でもやろうという気分だったので、翌日には荷物をまとめて宿を引き払い、ポケットに残った小銭でメウーリョ地方行きの切符を買っていた。
 車内はおろか屋根の上にまで荷物と乗客を乗せたバスで山道を走ること1日半、やっとたどり着いたマティロという賑やかな村で、望みどおりの仕事を得ることができた。雇われたのは村のはずれにある広い農場で、この近辺では一番規模が大きいところらしい。
 同じバスに乗ってきた乗客のほとんどは、やはり農場での仕事を求める季節労働者だったようで、ぼくは彼らとともに朝早くから畑に出て働いた。たしかに仕事はきつかったが、毎日の食事と寝る場所の心配はなかったし、仲間たちはみな陽気で人なつっこく、日本人を意味するハポというあだ名でぼくのことを呼んでいた。


 働きはじめて2週間ほどたったある日、昼食を済ませて畑へ戻ろうとしたぼくは農場の主人に呼びとめられ、そのまま自宅の一室へと招き入れられた。
 その部屋には見慣れない顔の若者がいて、自分は山をひとつ越えた向こうにあるグエボスの村から来たのだと自己紹介した。空から落ちてきた少女のことで、ぜひおまえの力を借りたいらしいのだ、と主人が言い添えた。
 “グエボスの空から降ってきた少女”の噂はぼくも耳にしていた。3日前、馬追いの青年が山へ行くと突然空に黒雲がかかり、嵐かと思って木立の下へ雨宿りに入ろうとしたとたん、頭上の樹木目がけていきなり少女が落下してきた。驚いた馬追いが空を見上げると、そこには雲の切れ間から青空が見えるだけで、飛行機はおろか鳥の影すらなかったそうだ。少女は木の枝がクッションがわりになって奇跡的に命は助かったものの、衰弱がひどく意識が戻らないらしい。と、仕事仲間のひとりが村で聞き込んできた話を興奮したふうで語っていたのを思い出した。
 その少女が身に着けていた衣服にメイド・イン・ジャパンの表示がついていたため、隣村にいる日本人のぼくのことを誰かが思い出し、なにか参考になるかもしれないので連れてこようという話になった、と若者は困り顔で言った。少女の意識はまだはっきりしないものの、ときおり外国語でなにか話すこともあるので、ぼくならばわかるかもしれないと。
 農場の主人は休暇をやるからすぐに行ってこいと言ってくれたし(あとで知った話だがグエボスの村長と彼はいとこ同士だったそうだ)、ぼくもすっかり好奇心を刺激されて快諾の意思を伝えると、若者は目に見えてほっとした表情を浮かべ、感謝の握手を求めてきた。


 ラバの背に乗って半日がかりでグエボスの村にたどり着いたころには、すっかり日も暮れていた。まず案内されたのは村長の家で、そこで一晩泊まって、翌朝に少女と面会してほしい旨を村長から伝えられた。珍しい日本人の客ということでずいぶんと厚いもてなしを受けたものの、村長や家族らの表情はどこか明るさを欠いているようにも見えた。
 朝になると、ぼくと村長は連れだって、少女が保護されている村の教会へと向かった。
 グエボスはマティロと比べるとずっと小さい村だったが、教会は歴史を感じさせる石造りの立派なもので、その入り口には年老いた神父がわれわれを待ちかねたように立っていた。
 流暢な英語を話す神父がまず見せてくれたのは、彼女の着ていた衣類だった。ぼろぼろに引き裂かれ、かろうじて元の色が判別できるほどに汚れたその布切れには、しかしはっきりと日本製であることをしめすタグが残っていた。
 それから、ぼくは少女の眠る部屋へ通された。
 ベッドに横たわる彼女はまるで捨てられた人形のように見えた。外見で判断すると、年齢は12、3歳だろうか。蝋細工のように白い肌には擦過傷や痣が残り、長い黒髪は乱れ、生気のない頬はこけていた。落ちくぼんだ目は固く閉じあわされて、開く気配はない。シーツに覆われた胸がかすかに上下しているのが唯一の生のあかしであり、それがなければほとんど死んでいるといってもいいほどだった。
 ときどき、意味のわからないことを話すのです。と、村長が言った。目を覚まさないのに、唇だけが動くのです。われわれには理解できない外国語でなにかをつぶやいています。
 ぼくは、しばらく彼女のそばについていてもいいかと聞いてみた。いつ彼女が意識を取り戻してもいいように、ベッドのそばに座っていたいと。
 部屋に入ってからずっと少女のかたわらで祈りを唱えつづけていた神父は、安楽椅子とポットに入ったお茶、それに記録用のノートと鉛筆を用意してくれた。
 村長とともに部屋を去る際に、神父はぼくの腕にそっとふれてささやいた。この子はおそらく長くはもたないでしょう。主が彼女の魂に安らぎを与えんことを。そしてあなたにも。
 その言葉の意味を問うよりも早く、神父はドアを閉めた。


 どれくらい時間がたっただろう。ふと気がつくと、目を閉じたままの少女の口元から低い詠唱のような音が聞こえていた。ぼくは彼女の唇に耳を寄せて必死になにを言っているのか聞き取ろうとした。最初は意味をなさなかった音の羅列が、ある瞬間からはっきりとした日本語のことばへと変わった。

…あたしはおとうさんとおかあさんとこうえんにあそびにいってたのとてもおてんきがよくておひさまがでてたのにいきなりくもがでてきてくらくなってかぜがすごくふいてきておとうさんとおかあさんがあたしのなまえをよんだとおもったらあたしはそらにぷかぷかういててこわくなってさけんだけどもうおとうさんもおかあさんもみえないくらいたかくなっててあたまのうえをみたらしろくてくろくてぐにゃぐにゃしたものがあたしをひっぱりあげてたのそれからあたしはくものなかみたいなもやもやしたところにずっとうかんでてときどきあのぐにゃぐにゃしたものがあたしのところにやってきてあしとあしのあいだにはいってきたのあたしきもちわるくていたくておおごえでないたけどおとうさんとおかあさんもたすけにきてくれなくてもうみんなしんじゃえばいいのにとおもったけどときどきあたまのうえにおひさまやおつきさまやおほしさまがみえたしあしのしたにはやまやうみやのはらがみえるときもあっておそらのうえはすごくすごくきれいでだんだんあのぐにゃぐにゃもきらいじゃなくなってきたのでもおなかがだんだんふくらんできておなかのなかでなにかうごいててすごくきもちわるかったしまわりにはなにもみえなかったけどほかのおんなのこのこえがいっぱいきこえてきてみんなないたりさけんさりしててあたしとおなじことされてるとおもったのみんなきっとあのぐにゃぐにゃしたもののあかんぼうをうむのあたしもきっとあのぐにゃぐにゃしたもののあかんぼうをうむのあかんぼうもきっとぐにゃぐにゃしてきもちわるいけどあたしのあかんぼうなのあたしのあかんぼうあたしのあかんぼうあたしのあかんぼうあたしのあかんぼ


 ふいに彼女の目が大きく見開かれ、ぐりん、と眼球が回転して、こちらのほうを見た。
 死んだ魚のように濁った瞳が、ぼくの目を覗き込んでいた。
 頭の中がしびれるような感覚を覚えながら、ぼくは日本語で聞いた。
 きみは、いったい、だれなんだ?
 乾いてひび割れた唇が左右に広がり、うつろだが満足そうな笑いを浮かべながら彼女は言った。
 あたしは、あのこの、ははおやなの。
 そして、少女は息をひきとった。


 神父が臨終の祈りを終えると、村長が聞いてきた。この子は日本人だったのか?
 ぼくは言った。いいえ、彼女の言葉はぼくにはまったく理解できませんでした。
 それを聞いて村長は不服そうな顔をしたが、神父は心なしか安堵したようにも見えた。
 結局、少女は身元不明のまま、村の墓地へと葬られることになった。町から来た役人は単なる行き倒れとしてこの件を処理し、空から降ってきた云々の話はデマとして片付けられたらしい。
 ぼくはその日のうちにグエボスの村を去った。帰り道はまたあの若者が送ってきてくれたのだが、問わず語りのうちに、彼の兄が最初に少女を発見した馬追いであることを教えてくれた。
 その兄が若者に打ち明けた話では、どうやら少女は妊娠していたようで、教会に運び込んで神父とともに手当てをしたときにはすでに胎児が生まれ出た状態だった。たしかにへその緒で彼女の身体とつながってはいたものの、その赤ん坊は人間はもちろんのこと、およそどんな地上の動物にも似ていない姿かたちをしていたらしい。
 それ以上の話になると兄は固く口を閉ざし、赤ん坊がどうなったのかについてはなにも語らなかったそうだ。おそらく神父に口止めされたのだろう、とぼくは思った。


 農場での契約が終わると、ぼくは首都へ戻り報酬のすべてを使って飛行機の切符を買い、雲の中を飛んでいるあいだ窓の外を見なくてすむようにずっと目を閉じたまま、日本へと帰国した。それ以来、海外へは一度も行っていない。
 あれからもう何十年も経った。しかし、いまでも嵐が来ると耳を塞がずにはいられない。はるか空の高みで吹きすさぶ風の音のなかに、囚われた少女たちの悲鳴が聞こえるような気がして。



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