仁義の墓場

仁義の墓場 [DVD]

仁義の墓場 [DVD]

 ひさびさに視聴。かなり前にWOWOWの深作欣司特集で録画してあったのですが、なんだかすぐに見るのがもったいなくて後回しにしていました。
 東映実録路線の一本に数えられる作品ですが、たしかに実在のやくざに材を得た物語ではあるものの、同じ深作監督の「仁義なき戦い」や「東北代理戦争」などと比較してもかなり異型の映画です。
 単純にストーリーだけを追うと、普通の任侠映画にみられるようなカタルシスやヒロイズム、あるいは実録路線のダイナミックな集団抗争劇としての面白さは、この作品にはまったく見られません。渡哲也扮する主人公・石川力夫の転落に継ぐ転落の半生が、事実に基づいてひたすら突き放したような目線で描かれるだけです。
 石川力夫は、画面に登場した瞬間からひたすら集団の輪の外に身を置き続け、社会からドロップアウトした無法者たちの世界にすら自分の居場所を見いだせない男です。かれはひたすら無軌道かつ無反省な反逆を繰り返し、薬物に溺れ、しまいにはどんどん人間らしさを喪失した虚無そのものへと近づいていきます。
 また、実在の石川力夫の半生がそうだったのだから仕方がないのですが、ほとばしるような流血シーンが多いのにもかかわらず、やくざ映画にしては驚くほど人が死にません。劇中で死亡するのはたったの3人で、そのうち石川が殺すのはかつての兄弟分・梅宮辰夫ひとりだけ。あとのふたりは自ら命を絶ち、そのうちひとりは主人公自身です。
 本作のキャスティングはじつに豪華で、梅宮のほかに、山城新伍室田日出男曽根晴美成田三樹夫今井健二郷英治ハナ肇、そして安藤昇、しまいには大映組の伊達三郎までが顔を見せています。しかしかれらの大半は、ひたすら石川力夫の行動に翻弄され、困惑し、激怒し、まるで得体のしれない化け物を見るような視線をかれに向けるだけの存在に過ぎません。ただひとり田中邦衛だけが石川の味方となりますが、かれは重度のペー中でほとんど廃人寸前の、石川と同じくらい得体の知れない男です。
 そして、石川の撒き散らす不幸の最大の犠牲者となるのが、薄幸指数200%の多岐川裕美です。もともと女郎屋の下働きとして酷使されていたところに、かれと出会ってしまったばかりに無理やり犯され、肺結核を患いつつも働きつづけることを余儀なくされ、最後は朽ちかけた安宿の一室で寝たきりの状態となります。石川が大量に吐血した彼女の手と顔を拭ってやるところは、かれが人間らしい優しさを見せるほとんど唯一の場面ですが、実はこのときの石川はシャブを打って朦朧となった状態です。そしてその次の場面ではもう、彼女は自ら手首を切って息絶えています。
 このように石川力夫という存在は、アンチヒーローなどという表現には当てはまらない、観客の感情移入を拒絶する理解不能な人間として徹底的に描写されているのにもかかわらず、なぜかこの映画を見るものを惹きつけて止まない魅力を放っています。
それは演者である渡哲也自身が大病を患って復帰した直後ということで、鬼気迫る表情に拭いがたい死の影を宿していたせいかもしれません。あるいは日活のスターだった渡の第一回東映主演作品ということで、排他主義で知られた東映京都という場所の持つ空気が、逆に主人公と周囲の断絶を際立たせていたのかもしれません(深作監督がそこまで意図していたのかどうかは寡聞にして知りませんが)。
あるいは “空気を読め”“流れに従え”と絶えず自らを抑圧しようとする権威や道徳をまったく無視し、あげく自分自身を含めたすべてを破壊せずにはおれない石川の姿が、すべての人間の心にひそむ暗い衝動を針のように刺激しているのかもしれません。

 ラスト、毛布をマントのようにまとった石川は、府中刑務所の屋上から虚空へと身を投じます。その姿はまるで、この世界を捨ててどこか別の次元へ飛び立とうとする孤高の求道者のようにも見えます。
残された辞世の句「大笑い 三十年の 馬鹿騒ぎ」からは、世の中に対し斜に構えたニヒリズムとある種の知性すら感じさせますが、この映画は最後まで石川力夫の人間的な内面を明らかにせずに終わります。
 かれはニーチェの提唱した“超人”のごとく、善悪の彼岸を超越した存在であり、「仁義の墓場」とは、ニーチェの「深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」という言葉を借りるならば、その深淵そのものを写し取った稀有な映画なのです。




 …三十過ぎてニーチェとか持ち出すのって、やっぱりすごく恥ずかしいね!