イングロリアス・バスターズ

タランティーノの新作を見てきました。
映画は全部で5つのパートに分かれていて、それぞれが章立てになっているおなじみのスタイルなのですが、ヒロインのユダヤ人・ショシャナを見舞う悲劇をセルジオ・レオーネ風の重厚なタッチで描く第1章「その昔…ナチ占領下のフランスで」では、“ユダヤ・ハンター”の異名を持つドイツ軍将校ランダ大佐が一見穏やかな物腰を保ちつつ、ユダヤ人一家を匿う農夫を言葉巧みに追い込んで隠れ場所を自白させます。続く第2章「名誉なき野郎ども」では、ユダヤ人特殊部隊“イングロリアス・バスターズ”の活躍(とそれに激怒するヒトラー)が描かれますが、ブラッド・ピット扮する隊長のアルド中尉は捕虜にしたドイツ兵に仲間の居場所を尋ね、答えを拒否すると部下のイーライ・ロス(登場シーンで噴き出しそうになった)に愛用のバットでがっつり撲殺させます。
ランダ大佐とアルド中尉、このふたりの軍人がそれぞれ敵に裏切りをそそのかす、という共通の行為を通じて、彼らが一枚のカードの裏表であることを暗示しているんじゃないの?と感じたのですが、正直そこまで深くは描かれないものの、ふたりの関係にある種のとてつもない決着がつくところで映画は唐突に終わります。
もちろん第3章以下は、ヒロインによる映画を使った第三帝国及びナチズムへの復讐と、同じくドイツ軍首脳部の暗殺を狙うバスターズの潜入作戦(という名のいつものダベり)が展開するのですが、例えば「ブラックブック」とか「特攻大作戦」みたいな物語を期待してはダメだなー、と思いました。この映画の主役はあくまでランダ大佐とアルド中尉であって、もっと言えば、ランダ大佐を演じたクリストフ・ヴァルツ。この人の見事な三ヶ国語四ヶ国語トークこそが本作最大のキモです。


特にバスターズが映画のプレミア会場に潜入するシーンのやりとりは最高におかしいのですが、↓の本でも指摘されているように、吹き替えであの場面を再現するのはとても難しいのでないだろうか。それどころか日本語字幕でも言語の切り替えに気づかない人が多いんじゃないか…と不安になりました。


あ、例の“面白くなかったら返金”サービスですが、途中ひとりだけ席を立った人がいました。でも結局、トイレに行ったのかなんなのかよくわかりませんでした。そもそもどこからこんな企画が出てきたのか不思議だったのですが、実は劇中にそういうセリフがあるんですね。

イングロリアス・バスターズ」とオーディ・マーフィ

で、見終わった後でこの本を買ったのですけど、

『イングロリアス・バスターズ』映画大作戦! (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)
町山 智浩 柳下 毅一郎 高橋 ヨシキ 伊東 美和 中野 貴雄 山崎 圭司 瀬川 裕司
洋泉社
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 例によって劇中の元ネタを細かく分析していてたいへん参考になるのですが、ダニエル・ブリュール演じるドイツの英雄・フレデリックのモデルになったオーディ・マーフィについてほとんど触れられていないのはちょっとどうかと思いました。ドイツ人とアメリカ人の違いはあれど、「戦場の英雄が映画の中で自分自身を演じる」元祖はこの人なのに!(ちゃんとパンフレットの町山大将の原稿には名前が出てきます。タランティーノも彼をモデルにしたことを認めているとか)


オーディ・マーフィ(Audie Murphy)


フレデリックくん


マーフィは1926年テキサス(!)生まれ。貧農の家に育ち、15才の時に父が行方不明。17才の時に母が死去。その後年齢を偽って陸軍に入隊し、身長170センチに満たない短躯ながらヨーロッパ戦線で240人以上のドイツ兵を殺害するなど数々の武功を挙げ、議会名誉勲章を含む33個もの勲章を受勲。英雄として帰国したのち映画界入りし、ジョン・ヒューストンの「勇者の赤いバッヂ」や「許されざる者」、ドン・シーゲルの「抜き撃ち二挺拳銃」など主に西部劇を中心に活躍。55年には自伝を基にした「地獄の戦線」で本人役を演じて好評を得ます。


「地獄の戦線」でドイツ兵をぶち殺すオーディ・マーフィの勇姿。


しかしもともと温和で穏やかな性格(この辺もフレデリック似)だったマーフィは戦場での体験が元でPTSDに悩まされ、後年は破産宣告を受けたり、バーでのケンカで相手を死なせたとして告発されたりと波乱万丈の生涯を送ったあげく、1971年、飛行機事故によりこの世を去りました。
近年になっても彼をモチーフにしたGIジョーが発売されるなど、マーフィは今なおアメリカの英雄兼西部劇スターとして親しまれている模様。そんな人物をドイツ兵に置き換えるタランティーノ恐るべし。



なお、最後に出演のオファーがあった映画は「ダーティハリー」。ドン・シーゲルは戦場から帰ってきた殺人者“さそり”を、本当に戦場で人を殺した彼に演じさせるつもりだったそうです。スゲエ。