昆布は無慈悲な海の女王 〜1

 7月の青空と海の色はようやく季節に相応しい色を見せ、この小さな港町にも道東特有の遅い夏が訪れようとしていた。朝の澄んだ空気はまだほんの少しだけ冷たさを残していたが、そんなことは気にも留めないがごとく風を切って自転車を飛ばし、町中を駆け抜けるひとりの男がいた。
 いま彼が乗っているのはブリヂストンの通学用自転車で、商品名をアルベルトという。わざわざ隣町のサイクルショップまで出向いて手に入れたものだ。とうの昔に学校は卒業していたし、地元のホームセンターでももっと安い自転車は買えたが、男にとってそのアルベルトには価格以上の価値があった。購入するときに店主と交渉した結果、アルベルトの宣伝用のぼりと業務用のカタログを譲ってもらうことに成功したのだ。現在、のぼりはジップロックに真空状態で封入され、カタログは専用のクリアファイルに収められて、どちらも彼の部屋で厳重に保管されている。クリアファイルの中には、他にもキヤノンや晴れ着の丸昌といった企業のカタログが大量に秘蔵されていた。
 彼の名前は昆布先生と言った。むろん本名ではない。いい年をして定職にも就かず結婚もせず、毎年夏になるとアルバイトで昆布漁の手伝いをしながらブラブラと暮らしているので、町の人々は誰言うともなく彼のことを昆布先生と呼ぶようになった。“先生”という呼称には多分に揶揄の意味が込められていたが、彼自身は気にするふうもなく、あくまでマイペースを貫いてその日その日を気楽に生きていた。
 大通りを走る昆布先生のアルベルトの傍らを、次々と大型トラックや乗用車が追い越してゆく。港町の朝は交通量が多いのが常だが、最近は心なしかその数も減っているように見えた。7月に入ってサンマ漁のシーズンを迎えていたものの、今年は漁獲量が極端に少なく、このままでは近年まれに見る不漁に終わるのではないかいうのがもっぱらの評判だった。もっとも昆布漁を専門とする昆布先生にはあまり関係のない話ではあったし、いまの彼の心はそれ以上に重要なことで占められていた。
 町にひとつだけある高校の前を通りすぎるとき、同じような通学用自転車に乗ったブレザー姿の女子高生たちがつぎつぎと登校してゆくのが目に入った。普段であれば制服の短いスカートから伸びる白い足を横目で眺めつつ、できればあの少女たちに取り囲まれて“この昆布野郎!”と罵られながら、履き古したスニーカーの靴底で容赦なく踏みつけられたい…と言う妄想にかられるのが昆布先生の重要な毎朝の日課なのだが、残念ながらいまの彼の目には、彼女たちの若さもずいぶんと色あせて見えた。まるで星が太陽の傍らで光を失うように。
 それもこれも、すべては今日の午後にこの町へとやってくる来訪者のせいだった。
 やがて先生の駆る自転車は町を抜けて、彼の仕事場である東港の集落へと下る坂道へ差しかかった。
 この町にはふたつの港がある。ひとつは町の中心部に近い西港で、道東の主要な漁業基地のひとつとしてサンマやサケ・マス漁の季節になると大型漁船が行きかう賑わいを見せる。そしてもうひとつが町外れにある東港で、こちらは昆布漁を専門とする小さな港だった。
 ノーブレーキで加速するにまかせながら大きくカーブした長い坂を下るにつれ、潮風と乾いた昆布の匂いが鼻孔に流れ込み、見慣れた東港集落の風景が目に入ってきた。手前から奥へとゆるやかに伸びる弓形の入り江に沿って走る道路の右側にはコンクリートで固められた防潮堤が並び、その向こうには広い砂浜と、穏やかな太平洋の海原が朝の日差しを反射してきらめいている。一方の左手に広がる平地には、石を厚く敷き詰めた昆布を干すための干場が碁盤の目のように整然と配置され、合間にはそれぞれの漁師の住宅や番屋、昆布を乾かす乾燥機小屋が点在していた。平地の背後は緑の木々に覆われたゆるやかな丘陵に囲まれており、海と空の青、干場の白色と相まって美しい自然のコントラストを成していた。海沿いの道路を2キロほど進んだ入り江の向こう側の隅に、控え目に設けられている波止場が東港だった。埠頭にFRP製の小さな昆布漁船が多数繋がれているのが遠目にも伺える。周囲には大きな燃料タンクに漁協の事務所、それに古びた倉庫やいまは使われなくなった造船所跡が並んでいて、かつて昆布漁が盛んだった時代の名残をわずかにとどめていた。
 昆布先生は坂道を下り終えると自転車のハンドルを左に向け、集落を見下ろすように鎮座する小高い丘のふもとでペダルを漕ぐ足を止めた。丘の頂上には大漁祈願のために海の神を祭った小さな古い神社があり、地元の人々からは“昆布神社”と呼ばれて篤く信仰されていた。毎朝仕事の前にここに参拝するのが昆布先生のもうひとつの日課で、さすがにこちらのほうはおろそかにはできない。境内へと続く石段を登って鳥居をくぐり、鎮守の森に囲まれた本殿の前に立つと財布からいつもの5円玉ではなく、500円玉を取り出す。それを思い切って賽銭箱へと投げ込んだ昆布先生は神妙な面持ちで拍手を打ち、“今年の夏はこれまでと違う夏になりますように。どうかなにとぞ、あのひとと親しくなれますように…”と心の中で何度も唱え、おそらくはこれまでの人生で最も熱心に神に祈願した。
 たっぷり3分間は祈ったあとで、先生は石段の下に停めておいたアルベルトのもとへ戻り、愛車を押しながら今度は丘のすぐとなりにある廃校になった小学校跡へと足を向けた。校舎は閉鎖された後に地元の町役場によって改装を施され、いまでは町の住民や旅行者のための保養施設となっている。かつてのグラウンドは公園として開放されていたが、今朝はその場所に簡易ステージが設けられ、早い時間にもかかわらず、漁協と町役場の職員とおぼしき人間が何人も動きまわり忙しそうに飾り付けに追われていた。
 やがて昆布先生の見守っている前で、ステージの上方に巨大な横断幕が設置された。そこに記された文字を見たとたん、いよいよ長年のあいだ夢に見続けたことが現実になる瞬間が近づいたことを悟って、彼の心臓は早鐘を打ちはじめた。

 横断幕にはこう書かれていた。「歓迎・映画『昆布少女』ロケ隊一行様

(つづく)